三多堂(曹家大院)

電視劇:龍票白銀谷喬家大院 ほか
場  所:山西省太谷県北恍村。太谷の町から西南へ約5キロ、太原からだと約60キロ。
行き方:①タクシー。私は太谷から乗りました。片道15元と聞きましたが、実際に乗った時には12元でした。
      ②国道108号線を走るバス(楡次、太谷など⇔祁県、平遥など)で途中下車。そこから徒歩で1キロほど?

 「三多」とは「多福、多寿、多子」の意味だそうです。ドラマ「喬家大院」では、大奶奶が「太谷曹家の出」だということでしたが、ここのことでしょうか。

三多堂の入り口。面積は1.06万平方メートル、明末清初の頃に建てられたそうです。

入り口を入って奥まで見通したところ。この通路の両側に建物が並び、奥には庭が広がっています。

元宝形の置石がさすが、商人の家です。

扁額に「誠信」の2文字。商売の基本心得です。「喬家大院」にも同じ文字の扁額が出てくる場面がありました。

店舗の再現。これはたぶん薬屋の店頭。曹家の最盛期には640以上の店を持ち、ロンドン、モスクワ、東京などにも進出していたそうです。

裏庭にある地下厨房の入り口。残念ながら中には入れません。

裏庭からお屋敷の建物を眺めたところ。

北側にはこんな背の高い建物が三つ並んでいます。この2階、3階の内部も見学することが出来ました。

要塞風の建物にはさまれた2階の部屋は繍楼(未婚の娘の部屋)です。三多堂に限らず、「昔の女性は纏足をしていたので階段の上り下りができず、嫁入りまで一歩も繍楼から出ずに過ごした」とガイドさんたちが語っていましたが、本当でしょうか。何年もこんな狭い部屋の中だけで過ごしていたら気が狂いそうです。

繍楼の内部。琴を弾くお嬢様と小間使い。この部屋に限らず、どこの階段もとても狭くて急で、上り下りは確かに大変です。

まるで要塞のようです。

屋上に出ることができました。それほど広いわけではないけれど、まるで城壁の上にいるような。

屋上からお屋敷を見下ろしたところ。

この建物(か、上の写真の建物のどちらか)が「白銀谷」の康家の外景の一部として印象的に使われていました。大きくて高くて重苦しい建物が康家の象徴のようで、おどろおどろしく見えたものです。

隠し銀庫か抜け穴か、正体不明の謎の穴。1階の部屋の中にあります。調査しようとしたことはあったものの、あまりに深いので途中でやめてしまったのだそうです。ちなみに1937年11月、日本軍が来た時には曹家の100人以上の人々が一夜にして姿を消したのだそうで、もしかしたらこの穴から逃げたんじゃないかとか……。

建物の中には豪華な家具調度品も残っています。こんな展示の仕方ではちょっと興ざめですが……。西太后と光緒帝らが西安に逃げる途中、この曹家からも数十万両の借金をして、その返済の代わりにもらったというフランス製の金ぴかの汽車の形の時計なんぞもありました。

入り口の手前の壁にずらりと貼ってあるドラマのパネル。もちろんすべて三多堂でロケした作品です。

しつこくてすみません。「龍票」のパネルです。


周辺地図

国道にある「三多堂」の案内看板。太谷側から見たところです。公共バスで行く場合は、ここで乗り降りすることになります。看板には「ここから500メートル」と書いてありますが、いくらなんでもサバを読みすぎでしょう。

上の看板のほか、道路の傍らにはこんな看板も立っていました。三多堂でロケした映画とドラマの名前がずらり。映画=「龍城正月(邦題:龍城恋歌)」「龍闖截拳道」「明天我愛你」、ドラマ=「亮剣」「龍票」「新星」「白銀谷」「趙樹理」「羅貫中」「郭蘭英」「苦菜花」「迎春花」「丁果仙」「狄仁傑」「劉伯堅」「于成龍」「狼毒花」「喬家大院」「関中侠事」「関中女人」「生死之恋」「向前!向前!」「李衛辞官」「大脚馬皇后(ドラマを見ても、それらしい場面はなかったようだが?)」


 入場料は35元。交通の便が悪いせいか、観光客はあまりいませんでした。もったいない! ちなみに、行きは太谷からタクシーで、帰りは国道まで歩き、太谷から祁県へ向かうバスをつかまえて乗りました。三多堂前から祁県までのバス代は5元。(2007年8月)

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