太谷

電視劇:白銀谷喬家大院
場  所:山西省太谷県
行き方:太原などからバスか鉄道。晋中(楡次)と祁県の中間に位置します。

 晋商ドラマを見ると、太谷、祁県、平遥が商家の集まる地として、何度も並んで名前が登場します。「白銀谷」の康家は太谷の郊外に、「喬家大院」では陸家が太谷にありました。この太谷、かつて「白銀谷」とまで呼ばれていたというのは、事実なのかフィクションなのか……? 現在は小さな田舎町です。しかし、道路や街のあちこちが工事中でしたので、そのうち見違えるようなきれいな街に生まれ変わるかもしれません。
 観光客は滅多に訪れない街だと思いますが、見所は孔祥煕故居と白塔。郊外には三多堂(曹家大院)があります。

太谷の街に入る手前の道端で。秧歌劇と書いてあります。バスの中からなのでゆっくり見ることができずに残念。どうやらお葬式のイベントのようでした。

太谷駅。列車は一日に数本。中に入ってみると人気はなく閑散としていました。このすぐ近くにバスターミナル(これも極小)もあります。

孔祥煕故居や白塔は、こんな古い家並みと狭い小路の中にありました。

孔祥煕故居。地元の人は「孔祥煕宅院」と呼んでいるようです。住所は上観巷1号。入場料は30元。

孔祥煕(1880~1967)は国民党政府の要職を歴任した財務家です。「宋家の三姉妹」の長女・宋靄齢の夫、といったほうが通りがよいかもしれません。屋内には孔祥煕の生涯や業績などについての展示があります。

黒い壁、窓の縁取り、ちょっと珍しいデザインのような気がします。

写真右手の2階からベランダを通って庭に下りることができます。これも初めて見ました。

戯台。すぐ後ろにビルが見えるのが惜しまれます。以上、もう少し手入れをしてあげればよいのに、という感じでした。ちなみに私の他に観光客はいませんでした。

無辺寺の白塔。手前は学校で、お寺の入り口は別の場所にあります。お寺は工事中で入れませんでした。無辺寺の創建は晋代、塔は北宋期に建てられ、その後何度も修復を重ねてきたそうです。

たぶん太谷の中心地にある交差点。ちょうどお昼時で人通りが少なくなっています。手前が南街もしくは南大街(名前が地図によって違う。行った時に確認しませんでした)、交差しているのが新建路、おそらく太谷のメインストリートです。


太谷中心部の地図

おぼろげな記憶と、晋中市地図の裏にあった小さな太谷県城区地図と、孔祥煕故居のチケットの裏の地図(どれもあてにならない)を参照して、ごく簡単な地図を作ってみました。縮尺はいい加減です。他にも間違いがあるかもしれませんので、あまりあてにしないで下さい。(行く方がいるとは思えませんが。)


 バスターミナルにも駅にも、荷物を預ける場所がありません。荷物を預けて身軽になって観光する予定が狂いました。ずうずうしくも、駅のそばのホテルのフロントで聞いてみましたが、「宿泊客しか荷物を預かることはできない」というもっともな返事。しかし親切そうな女性で、他に人もいなかったので、ずうずうしいついでに孔祥煕故居へ歩いてどのくらいかと尋ねてみました。手元の地図を見て、歩ける距離だと踏んでいたのですが、「歩くと30分くらい。でも荷物もあるし大変。道が分からないかもしれないし、タクシーのほうがいい」とのことでした。なんだか意地になって歩きましたが……見事に道に迷いました! 人様の親切な忠告は聞くべきです。(2007年8月)

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