電視劇:鹿鼎記
場 所:浙江省海寧市
行き方:海寧駅前からT109のバスで、終点・塩官汽車站まで。6元。
もしくは、海寧市客運中心(バスターミナル)からT106(塩倉ゆき)のバスに乗り、途中の塩官で下車。5元。
小さな塩官汽車站は銭塘江沿いの道路にあり、観潮勝地公園は目の前です。そこから宰相府第風情街までは、徒歩で15分ほど。
銭塘江逆流見物の一等地である塩官景区ですが、銭塘江からほど近い「宰相府第風情街」も見所です。「宰相府第」とは、通りの中ほどにある陳閣老宅のこと。全長600メートルほどの通りに、昔の街並みを修復、復元してあります。通りの西側半分ほどが水路に面していて、そのあたりの風景が黄暁明主演の「鹿鼎記」の揚州の場面に使われました。
宣徳門。宰相府第風情街の東端にあります。初建は隋の大業十三年(617年)、その後改修を重ねて現在に至るようです。 | |
貸衣装を着て楽しんでいる女の子たち。 | |
通りには土産物屋などが並んでいます。 | |
花居雅舎。もと妓楼だった建物で、「鹿鼎記」で麗春院内部の撮影に使用されたのも納得。入場料は10元。 | |
花居雅舎の門を入って正面。 | |
中庭から2階を見上げたところ。 | |
1階の部屋。 | |
正面2階の部屋。 | |
個室。 | |
2階から見下ろしたところ。 | |
入り口を内側から見たところ。入り口脇の小さな小屋は切符売場です。 | |
2階へ上がる階段の前にこんなパネルが。 | |
こちらは確か花居雅舎の門前に掲示されていたものです。 | |
新東坡酒楼なるレストラン。水辺の佇まいは悪くなさげに見えますが、中身はたいしたことなし。 | |
陶磁器のお店の奥に「鹿鼎記」の出演者たちの写真。 | |
同じお店の中。 | |
陳閣老宅。閣老とは宰相のことです。雍正朝太子傅、文渊閣大学士だった陳元龍(1652~1736)のお屋敷。最初に建てられたのは明末で、陳元龍が宰相となってから拡大されましたが、現在残っているのはほんの一部のようです。陳元龍は、「書剣恩仇録」で乾隆帝と陳家洛の父親ということになっている陳世倌(1680~1758)と同じ一族です。(具体的な血縁関係がわかりません……。)入場料は25元。 | |
陳閣老宅の内部。「愛日堂」の文字は、康煕帝によるものだそうです。清代の衣装を来た職員(?)が何人かいますが、何もせずにだべっているだけ。お客が多いと何かサービスしてくれるのかもしれません。 | |
水路に浮かぶ船。橋が邪魔で航行は無理。もしやドラマのロケで使ったもの? | |
江南名匾名聯館の入り口。「鹿鼎記」の麗春院の門前の外観は、ここを利用したように思えます。 | |
「江山為重」とはいきなり何かと思ったら、昔のテレビドラマのタイトルのようです。ここでロケしたのでしょう。室内の壁にスチールが並べてありました。 | |
水路沿いの風景。 | |
「乾隆酒楼」という名のレストラン。 | |
道路から中を覗くと! | |
宰相府第風情街の西端の入り口。 |
「書剣恩仇録」にも登場する海神廟。宰相府第風情街と銭塘江の中間にあります。初建は雍正8年(1730年)。大規模な宮殿式の建筑で「江南紫禁城」とも呼ばれたそうです。やはり何度も破壊と再建を繰り返してきています。入場料は12元。 | |
海神廟の本殿。境内は、現在の周囲の街の様子にそぐわないだだっ広さ。 | |
海神廟に祀られている神像のひとつ。そのほか、敷地の奥には御碑亭などもありました。 | |
海神廟へ行く途中にあった工事現場。「金庸書院」って何が出来るの?! | |
「書剣恩仇録」にも登場する安瀾園の遺跡。南宋の時代に作られた庭園が後に陳家のものになり、陳元龍によって拡大されました。さらに乾隆帝が南巡のおりに四たびここに逗留し、「安瀾園」と名づけたそうです。現在は、池と九曲橋の一部のみが残っています。地図を頼りに、地元の人しか通らないような小道に入り込んで発見。 | |
銭塘江に面する観潮勝地公園。逆流を見物する一等地です。乾隆帝が逆流を見物したという「白石壇」なるものも残っています。(どう見ても、最近造られたピカピカのもの。)入場料は25元。逆流を見るのでなければちょっと高い。 | |
小潮の時期だったため、ご覧のように波も小さく、観光客もごくわずか。それでも私は充分感動しました。「書剣恩仇録」にも陳家洛と乾隆帝が銭塘江の逆流の音を聞く場面が描かれています。 |
「書剣恩仇録」で陳家洛が海寧に帰る場面がありますが、描かれているのは塩官なので「おや?」と思ったら、清朝の海寧府は塩官にあったそうです。このほかの見所としては、王国維故居(入場料10元)があります。見所のすべてに入場出来る通し券は90元。ただし、お金を払う価値のなさそうなところも含まれているので、制覇するのはやめて、それぞれ入場券を購入しました。当時は観潮勝地公園やその周辺で何やらいろいろ新築工事がされていたので、上海万博に合わせて観光客を呼ぶ魂胆なのかもしれません。(2009年8月)