紀暁嵐故居

電視劇:鉄歯銅牙紀暁嵐 ほか
場  所:北京市宣武区珠市口西大街241号。晋陽飯荘となり。

 「閲微草堂筆記」や「四庫全書」の編纂で名高い清代の大学者・紀昀、字は暁嵐(1724~1805)の住居の一部です。もとは大きなお屋敷だったのが、今では西院のほんの一部、書斎があった場所だけが残っています。建物は何度も持ち主を代え、晋陽飯荘(山西料理の有名レストラン)がここで開業していましたが、2001年に保存が決定され、修復、公開されました。

この藤は紀暁嵐が植えたもので、もとは庭にありましたが、道路を拡張したため門前になってしまいました。建物のデザインが清代にしてはモダンだと思ったら、後に何度も改装された結果でした。

かつてはここがレストランの入り口だったようです。現在の入り口とチケット売り場は、この右手にありました。

紀暁嵐の書房・閲微草堂だった建物だそうです。階前の海棠も紀暁嵐が植えたものです。右手のビルは晋陽飯荘。

閲微草堂内部。「閲微草堂旧址」の扁額がかかっています。椅子はもとからお屋敷にあったものだそうです。

上の写真の左手に引っ込んだ場所が書斎になっていました。この机も本物だそうです。

紀暁嵐夫妻の像。係員のおばさんが「ドラマ(鉄歯銅牙紀暁嵐)では40歳過ぎても独身だったけど、本当は17歳の時に結婚しているんですよ」と説明してくれました。どうやらドラマを信じてしまう人が多いようです。

閲微草堂旧址の向かい、道路沿いの建物の内部は、簡単な記念館になっていました。写真は遺品の展示。トレードマークの巨大キセルは、レプリカだそうです。いつ作ったのか尋ねてみればよかったと後で思いました。案外ドラマのせいだったりするんじゃないでしょうか。

記念館内の紀暁嵐の胸像。


 北京は久しぶりだったので、ちょっと戸惑いました。入場がまさか16:00までだったなんて(見学は16:30まで)。16:00の1~2分前に到着すると、チケット売り場がすでに閉まっていて、目の前が真っ暗に。それでもすぐに奥から出てきた係員が片付けたチケットを取り出して売ってくれ(そして私の後ろで入り口を閉め)、貸切状態で見学できました。それにしても夏場の16:00はちょっと早い……さすがは北京、殿様商売。オリンピック期間もそうなんですか? 山西はどこも19:00までだったのに。
 入場料は6元でした。晋陽飯荘で食事をすると無料で見学できると何かで見た記憶がありますが、確認していません。(2007年8月)

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