金庸旧居

場  所:浙江省海寧市袁花鎮新偉村一組
行き方:海寧市へは上海、杭州ほか周辺都市から列車かバスで。
     海寧市客運中心(バスターミナル)から袁花鎮までT101のバスに乗り、終点まで約40分~50分だったか。4元。
     終点の袁花汽車站でバスを降りてから、Google地図(最近は便利になったな~)を頼りに歩くこと約20分で到着。
     ※海寧駅とバスターミナルは、K5、K6のバスが結んでいます。2元。

 武侠小説の第一人者・金庸の生家。海寧市内から少し離れた袁花鎮にあります。金庸(本名・査良鏞)は、1924年にここで生まれました。最後に帰宅したのは1946年のことだそうです。当時の建物はすでになく、1998年に再建された建物が記念館となっています。入場無料。
 

大きな道路(S203)から横道(写真)に入ってしばらく進みます。何の変哲もない田舎道。

本当にこの道でいいのかと不安に思いながら進むうち、この標識を発見。ここに辿りつくまでにも標識が欲しかった。

やっと到着! と思ったら、閉まってました……。一瞬目の前が真っ暗になったものの、落ち着いて見ると、扉に連絡先の電話番号がチョークで書きなぐられているのを発見。携帯を持っていたので電話してみると、電話に出た女性に「鍵がかかっているのか?」とかなんとか反対に聞き返されて、こっちは「?」です。待つように言われて待つことしばし、内側から扉が開き、入館することができました。この係員のおっさん、中で昼寝していたに違いないと思います。

開館時間。(ちなみに私が到着した時には、とっくに13:00を過ぎていました。)月曜日は休館日で、これも扉にチョークで書いてありました。これから訪問される方は気をつけてください。

門前には影壁もあります。

入り口に掲げられている「金庸旧居」の額。金庸先生の友人でもある馮其庸氏の字です。

参観示意図。査家は元代にこの地に移ってきたそうです。現在の建物は、1998年に建てられたもの。

かつてのお屋敷の平面図。1901年~1905年にかけて建てられたようです。50年代初めに金庸先生の父親が反動地主として処刑されてから、屋敷には他人が大勢入居したりして少しづつ荒れていき、文革時にそれまで残されていた書籍や家具などが焼かれ、徹底的に破壊されてしまったそうです。現在も、かつて庭だったお屋敷の西側には、民家が建っています。

前大廳。掲げられている「澹遠堂」の扁額は、かつては康熙帝が書いたものだったそうですが、残念ながら失われてしまいました。

金庸先生が生まれた部屋だそうな……。部屋には入れず、ガラス越しに中を覗くだけ。

金庸先生を紹介する展示。

ドラマDVD(VCD?)も展示されていました。

厨房も再現。

査家と歴代の目ぼしい人物がパネルで紹介されています。「唐宋以来巨族、江南有数人家」は康煕帝の言葉らしい。

査家の歴史についての紹介部分。

こんな部屋もありましたが、説明がないのでよく分かりません~。

査家の人々の書。

壁一面に「三十三剣客図」。


おまけ

海寧市内の見所の一つ、徐志摩故居。徐志摩(1897年~1931年)は有名な詩人。1926年に建てられた建物で、1999年に修復されて公開されています。入場料は10元。

入り口の「詩人徐志摩故居」の字は、金庸先生の手になるものです。実は、徐志摩は金庸先生の表兄(母方の従兄)なのでした。


 建物自体も安っぽい造りだし、つまらない写真ばかりなことからも察していただけると思いますが、入場無料も納得の内容です。とはいえ、金庸先生がかつてこの地で生まれ育ったことを思えば、ファンなら行って損はしない……たぶん。ちなみに、私がいる間、見学者はもう一組だけでした。(2009年8月)

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