鏢局

場  所:私が見学したのは、山西省祁県、平遥にある博物館です。詳しい住所は下記参照。
行き方:祁県へは太原などからバスか鉄道。晋商鏢局は古城に入ってしばらく歩いたところ。渠家大院の手前にあります。
      平遥古城の観光地図を見れば、博物館の場所は分かります。いずれもメインストリート沿いにあり、徒歩で回れます。

 鏢局とは金品の護送を請け負う業者です。小説やドラマでしか知らなかった鏢局が、本当にあったのだと納得できました!

祁県晋商鏢局。建物自体は、もとは渠本翹(有名な実業家、1962~1919。渠家大院を参照)故居だそうで、渠家大院の建物の一部を利用しているようです。入り口が目立たないので、気をつけていないと見逃しそうです。
(祁県古城内東大街、渠家大院の隣)

平遥・華北第一鏢局。1849年設立、1913年まで続きましたが、一度も失敗はなかったそうです。展示は、神槍・王正卿、鉄腿・左二把、形意拳の名人・戴二閭(ドラマ『喬家大院』に登場)という清代に華北で有名だった三人の鏢師についての展示がメイン。
(平遥古城東大街)

平遥・同興公鏢局。有名な鏢師・王正清が咸豊5年(1855年)に設立した鏢局です。
(平遥古城南大街105号)

平遥・中国鏢局博物館。同興公の別館といっていい展示内容。十大鏢局、十大鏢師などの紹介も。明末清初に実際に鏢局だった建物だそうです。
(平遥古城南大街61号)

どの博物館も入ってすぐの庭にこのように荷車を展示していました。三角の旗は鏢旗といい、鏢局の印です。<同興公鏢局>

室内に展示してあった荷車。<祁県晋商鏢局>

室内に展示してあった荷車。<祁県晋商鏢局>

室内に展示してあった荷車。同興公鏢局で使用していたもののようです。<華北第一鏢局>

実際に使われた刀のようです。<祁県晋商鏢局>

剣にソロバンが仕込んであります。鏢師が使ったそうです。<祁県珠算博物館>

鏢局の決まりいろいろ。
水路三規(水路では徹夜で警戒する、船を離れない、女を遠ざける)。
進店三要(宿泊の際はまず宿内を見回る、宿の外も確認する、宿に入ってからも見回る)。
択店三不(宿を選ぶ時は開店したばかりの宿には泊まらない、主が変わる宿には泊まらない、妓女がいる宿には泊まらない)。
入睡三不(寝る時も武器を離さない、服を脱がない、車馬から目を離さない)。
<祁県晋商鏢局>

鏢局の武術の源は岳飛にあるらしいです。周りは有名な鏢師の肖像と紹介文。<祁県晋商鏢局>

練武場。<華北第一鏢局>

練武場。街中だからでしょうが、狭いです。<同興公鏢局>

同じ練武場の反対側です。<同興公鏢局>

台所。<華北第一鏢局>

帳房。鏢局というと武張ったイメージがありましたが、なかなか華やかな装飾です。<華北第一鏢局>

普通の商家と変わりません。鏢局だって経営していくには金勘定が必要ですが、小説やドラマだけでは気づきませんでした。<同興公鏢局>

客間。商談の場です。武神・関羽の絵が飾られています。<同興公鏢局>

顧客の宿泊用の部屋もあります。家具調度も立派です。写真は顧客に供するための豪華なアヘン吸引具。もちろん鏢局の人間はアヘン厳禁です。<華北第一鏢局>

出発前に旅の安全を祈ったのでしょうか。<同興公鏢局>

民国?年、同興公鏢局の二代目・王樹茂(王正清の息子)60歳の祝いに平遥の商家、票号、銀行が連名で贈った鉄製の「慶衍花齢」の扁額。
その上の青い縦書きの額の文字は「奉旨議叙」。王樹茂は西太后、光緒帝ら一行の平遥から西安までの警護を請け負い、その途上、下賜されたものだそうです。<同興公鏢局>

実際に同興公鏢局で使われていた箱。<中国鏢局博物館>

部屋の地下に掘られた銀庫。<同興公鏢局>

庭に掘られた銀庫。<中国鏢局博物館>

庭に掘られた銀庫。中に下りるための梯子(?)がついています。<華北第一鏢局>

同興公鏢局の鏢師の雄姿。<同興公鏢局>



 鏢師の仕事はもともと農民が農閑期に行っていたのだそうです。鏢局が最も多かったのは北京、他に山西、河北、天津、上海、蘇州など、全国に36の鏢局がありました。展示を見ると、小説やドラマのネタになりそうな面白いエピソードもある一方で、鏢局の人々は意外に堅実な商売人というイメージでした。
 入場料は、祁県晋商鏢局は祁県古城の通し券40元に含まれています。平遥の3鏢局は、平遥古城の通し券120元で。(2007年8月)

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